アレッポ(ハラブ)は、世界で最も古くから継続的に人が住み続けている都市の一つであり、その歴史は紀元前3千年紀にまで遡ります。交易路の交差点に位置していたため、ヒッタイト、アッシリア、ギリシャ、ローマ、イスラーム諸王朝、モンゴル、オスマン帝国など、多くの文明と勢力の興亡を目撃してきました。
🏛️ 古代からイスラーム時代までのアレッポ
- 古代オリエントとヘレニズム: アレッポの名は、紀元前3千年紀末の文書に「ハルパ」として初めて登場します。ヒッタイトの支配(紀元前17~14世紀)を経て、セレウコス朝時代には「ベロエア」と改名されました。
- ローマとビザンティン: 紀元前1世紀にローマ帝国に吸収され、数世紀にわたって繁栄しました。ビザンティン時代にはキリスト教の重要な中心地の一つとなり、教会や修道院が建設されました。
- イスラームの到来と黄金時代: 638年にイスラーム勢力によって征服され、古名の「ハラブ」に戻りました。944年から1003年までのハムダーン朝の下で最初の黄金時代を迎え、特にサイフ・アッ=ダウラの治世下で文化と学問が栄えました。その後、ザンギー朝とアイユーブ朝(サラーフッ=ディーンの一族)の時代に、アレッポ城の大規模な再建やスーク(市場)の整備が進み、現在の旧市街の基礎が築かれました。
⚔️ 破壊と再建の歴史
アレッポはその戦略的重要性ゆえに、度重なる破壊と再建を繰り返してきました。
- 十字軍とモンゴル: 十字軍の包囲を何度も撃退しましたが(1124年など)、1260年にはモンゴル軍によって都市全体が甚大な被害を受けました。
- マムルーク朝の復興: モンゴル軍の退却後、マムルーク朝の下でアレッポは驚異的な復興を遂げます。特にバーナクーサー地区は、イラクやジャズィーラ方面からのキャラバンが集まる経済の中心地として発展し、多くのキャラバンサライ(隊商宿)や市場、税関が設置されました。この時代に、現在のアレッポの町並みの基礎が整えられたと言えます。
- ティムールの侵入: 1401年にはティムールによって再び破壊されましたが、マムルーク朝のスルタンによって修復されました。
🕰️ オスマン帝国時代から現代へ
- オスマン帝国: 1516年にオスマン帝国の支配下に入ると、軍事的重要性は低下しましたが、東西貿易の結節点として経済的繁栄を維持しました。20世紀初頭にはタウルス急行(オリエント急行の延長)が到達し、ヨーロッパとの結びつきが強まりました。
- シルクロードの要衝: アレッポの繁栄を支えたのは、何と言ってもシルクロードの中継地としての役割です。東西1kmにも及ぶ巨大なスーク(市場)は、石屋根に覆われた迷路のような構造で、スパイス、金細工、絨毯などが取引され、その活気は現代にまで受け継がれています。特にオリーブ石鹸は古代から有名で、クレオパトラが持ち帰ったという伝説も残っています。
🌍 文明の交差点としてのアレッポ
アレッポの本質は、その多様性と共生にあります。イスラーム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒、アルメニア人、クルド人など、様々な民族と宗教が共存し、独自の文化を育んできました。また、商業都市としてのアレッポは、中世においてはヴェネツィアやブリュージュなどのヨーロッパの商業都市と並ぶ、国際交易の主要なプレイヤーでした。その歴史的・文化的価値が認められ、1986年には「古代都市アレッポ」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
